STCスタッフの篠﨑です。
英語の右も左もわからない私がSTCで働くようになって、しばらくが経ちました。
プリンシパルのセランドは、私の英語の話せなさっぷりにしばしば目を丸くして驚いていますが、最近はずいぶん慣れてくれたようです。
受け入れられることの幸せを感じる今日この頃です。(←それよりも英語を学習するという選択肢があるのでは?)
というわけで今日は『私は英語が喋れないシリーズ』の第2回目。
ずいぶん前の話で恐縮ですが、学生時代、私は無鉄砲でした。
いわゆる『やんちゃ』というわけではなかったけれど、あまりものを考えていなかったというか、後先を考えていなかったというか。
「やってみればなんとかなるでしょう~。」
という軽いノリでいろいろなことにチャレンジをしていました。
そのひとつが、『ひとりで卒業旅行@カンボジア』でした。
今はどうかわかりませんが、当時はカンボジア国民議会選挙で民主政権が誕生してから10年ほどの頃でしたので、まだまだ治安は安定しておらず、女子学生が一人で旅をするにはハードルの高い国でした。
とはいうものの、当時の私は決して高い意識をもって旅行に臨んだわけではなく、単に、
「ちょっと知り合いが住んでいる国だから」
「行ってみればなんとかなるでしょう~。」
という至極軽い気持ちで航空便の準備をし、
「どうせ英語圏じゃないからね~。」
と辞書のひとつも持っていくこともせず機上の人となりました。
カンボジアは意外と問題ありませんでした。
今となっては何語でどのようにコミュニケーションをとっていたのかさえ思い出せませんが、内戦終結からそう時間が経っていない途上国の熱量を感じ、『自分が悩んでいたあれやこれや』が極めて小さいものに思えました。
不遇の時代やそれにまつわる不自由さから憐れみを乞うのではなく、不遇や不自由さえ自分の生きる道具としようとする人々の逞しさと強烈な日差し、市場のすえた匂いを今もまざまざと思い出すことができます。
ところで、何度も申し上げて恐縮ですが私は英語が喋れませんので、喋れないなりの工夫をしました。
すなわち、『現地語が喋れる友達と落ち合ってどうにかしよう作戦』です。
カンボジアではクメール語を習得した友人と落ち合って数日を過ごし、トランジットのシンガポールでは留学している友人宅を数日訪ねるという作戦。
功を奏し、カンボジアでは大成功。
さあ、あとはシンガポールの友人宅にさえ乗り込めばどうにかなる!…というところで、ちょっとした問題が起きました。
友人から、
「空港まで迎えに行けないから、自分で来て。」
と住所がポンと送られてきたのです。
「えぇぇぇええぇぇぇぇぇーーーーー。」
友曰く、
「タクシーで住所を書いた紙を渡せば連れて来てくれるから大丈夫。悪いタクシーにつかまらないように気を付けて。」
仰せの通りタクシーに乗り、おずおずと住所を差し出したところ、運転手さんがにこやかに言うことには、
「日本から?わたし、日本語すこしはなせます。」
外は夕闇に包まれていましたが、目の前がパァァァァッと明るくなるのを感じました。
あれやこれやと日本語トークに花を咲かせる中で分かったことは、この運転手さんはかなり日本語が堪能だということ。
漢字も読める、数字の読み方もばっちり、そして敬語まで使える。さらにとどめの一発が、
「イチゴイチエ、ですね。」
という言葉。
……一期一会!
旅先で出会って一番嬉しい美しい日本語のように思います。
「そんな言葉まで知っているのか!」
と心から感心しつつ、一期一会のこの出会いを大事にしたいとしみじみ噛みしめていると、運転手さんが続けて言うことには、
「イチゴイチエ、ですね?」
「はい、一期一会ですね!」
「OK、イチゴイチエ。」
ぶーんと車は道なりに進み、そして止まりました。
あるアパートメントの「151-A」と書かれた区画に。
そして運転手さんに渡した紙には書いてありました。友人の住むアパートメントの住所が、「151-A」と。
神様は、英語が喋れない私には日本語の喋れる運転手さんを、そして、一期一会に感動する私には151-Aにきちんと連れて行ってくれる運転手さんを送ってくれたようです。
誰にも迷惑をかけることはなかったけれどひっそりと心の中で恥を思った、ただそれだけの思い出話。
今あのときの運転手さんにお会いしたとしたら、何と伝えたいだろうと思うことがあります。
「お願いした通り、『151-A』に連れて行ってくれてありがとう。ところで日本には、『一期一会』という美しい言葉があります。いつか日本からの旅行者に出会ったら、『イチゴイチエですね。』とあの日のように微笑んであげてください。きっとみんな、あなたの国を今よりちょっと好きになりますよ。」