機能不全クローゼット症候群を乗り越えて―サンドラ・リクター『エデンの物語』

読んだ本の防忘録として、本シリーズを書いておりますが、周囲から、もっとまじめな本を読んでいるでしょう、と指摘され、一転して聖書研究について書きたいと思います。

 

これを読んでくださっている方の中に聖書を通して読まれたことのある人は何割おられるでしょうか。いずれにしても様々な経験から聖書の物語を断片的にご存知の方は多いかと思います。

本著書『エデンの物語』は、ハーバード大学古代近東言語学課で博士号を取られた米国の旧約聖書学者、サンドラ・L・リクター教授によって書かれたもので、聖書を新たな視点から整理することを促すものです。これを読むことで、文化、言語、民族の障壁を乗り越えて旧約聖書の本質に迫ることができます。

 

本書では先ず、聖書をこれまで読んできた一般の読者が聖書機能不全クローゼット症候群に陥っていると主張しています。これはどういうことかと言うと旧約聖書を雑然と読み、読んで理解できる箇所だけをクローズアップしてその他を無視するという姿勢です。押し入れの中で繰り返し使われるスペースは限られ、残りの場所には、何年も物が入っているだけと言うようなことはないでしょうか。この本では、そのようにな機能不全クローゼット症候群を解消する必要があるのではないか、ではどうしたらよいのか、ということを提示してくれています。

  1. 旧約聖書と現代社会を隔てる言語、文化、歴史の壁を乗り越えること
  2. 聖書を順序だてて整理すること

要旨をまとめようとすれば、いくつでも挙げることはできるのですが、自分として興味深く思ったことを以下にまとめます。

 

〇聖書の構造の裏には、契約の概念があり、その契約が示しているのは、イスラエル(「神の国」を指し示す言葉。本書ではイスラエル共和国とは分けて考える必要がある)とは主の臣下であり、イスラエルは主の律法を行い、聖なる日の暦に従ってそれを為す者である、ということである。

〇律法順守を務めるユダヤ人たちには、律法の働きが機能しなかった。それは彼らの心が変わらなかったためである。そのため、新しい契約には神と人間との新しい関係が必要だった。

〇イスラエルの役割は、真の王(神)の忠実な執事というものである。

〇新しい契約では、約束の場所は新しいエルサレム(回復され造り直された地球)となる。またその新しい地球こそが回復されたエデンであり、人間(アダム)は無事に故郷に帰ることが許される。

 

聖書の構造を契約に帰し、その契約を守るためのツールが律法であるとし、新約聖書において新しい契約がなされ、新しい契約を根拠として人々は無事に故郷である神の国に帰ることができる。これを為すための協働管理人としての役割が、神の民であるキリスト者に与えられているのだと著者は説きます。 ここで「イスラエル」という言葉が多用されていますが、本書において「イスラエル」とは「神の国」を指し示す言葉です。

 

これまで旧約聖書を細かく字義的に解釈した本はありました。しかし本書の良い点は、言語、歴史、地理も幅広い分野から考察を行うことで旧約聖書全体がキリストの贖いについての書であることを再確認させたことにあると思います。繰り返し提示されるイスラエルの歴史、そして各契約の確認は、キリスト教のいうところの『贖いの歴史』が旧約に及ぶことを再確認させてくれます。

一方、字義的解釈が「間違いであるとは言い切れない」ことを考えると、そこがこの本の弱点かな、という気もします。たとえば著者はいわゆる「若い地球説1」を否定しているように見受けられますが、個人的には著者の考えに賛同するものの、「若い地球説」が正ではないという根拠も持ち得ません。聖書に記された系図の正確性について、「正しい」とも「正しくない」ともいえるだけの学問全般への知識を、自分が持っていないためです。

日本人が読んだ場合「断言しすぎ」である点が違和感を引き起こす原因になるかもしれません。「断言しすぎ」であることが本書の唯一の弱点ではないかと思います。

 

長所について述べたことと重複しますが、旧約聖書全体を贖いについての書であることを再確認させてくれる点は高く評価すべきかと思います。現代の非ユダヤ人キリスト者にとっての旧約聖書は言語、歴史、地理、文化的背景が大きく違うことから「裁きの旧約聖書」と「救いの新約聖書」といった偏った概念を持ちがちです。

本書はこのような誤った概念を「機能不全クローゼット症候群」によるものであると述べ、ひとつひとつの背景の差異を埋めることに尽力しており、旧約聖書と新約聖書の関連性を述べつつ、聖書の物語全体を俯瞰したという点において評価されます。

また、ノア、アブラハム、モーセ、ダビデ、イエスと、契約が更新されるたびに、その契約の受益者の幅が広がっていくことを図表を使い効果的に示していったことも、大きな意義があると考えます。

イスラエルに対しての現代的評価がなされていることも、興味深くあります。前述のとおり私たちは「イスラエル」というと現在のイスラエル共和国を思い浮かべ、その現代的評価をキリスト者がどのように為すかが気にかかるところでもありますが、その点にも慎重に触れていることを評価したいと考えます。

 

注1)『若い地球説』:創造論のうち、神による天と地とすべての生命が短い間になされたとする説。聖書の創世記の「1日」という単位を「24時間」と考え、世界は紀元前数千年から1万年前の間に創造されたと考える。