天才の「吸い取られちゃった」系日常-『すゝ゛しろ日記弐』

一昔前、私は「社会派」の映画や本が好きでした。

戦争もの、ドキュメントものを見たり読んだりしては、「わたし、頭いい…!」と悦に入ったりしたものです。(もう、この発想がすでに全然頭良くありません)

が、近年その傾向ががらりと変わりました。

「厳しい現実は見ても見なくても身の回りに押し寄せてくるのだから、見なくていいときにまで見る必要ないんじゃない?気楽にいこうよ、気楽に!」

 

そんなわけで今週選んだ「気楽な」1冊は山口晃著『すゝ゛しろ日記弐』。

ずいぶん前に入手して、そのまま書棚に「積ん読」していた1冊です。

でも、なんといっても日本現代美術の珠玉・山口晃。

梅雨の走りのモヤっとした頭に、これほど安らぐ1冊がほかにありましょうか。

ずいぶん前の話で恐縮ですが、漫画家の西原理恵子さんがブログで、

「私が一番会いたい、憧れてる、すっげー、げーじつ家。神様の線をすごくたいくつそうにかくひと。」(原文ママ)

と評していたことがあって、通りがかりの百貨店でたまたま開かれていた個展に飛び込んでみたことがありました。

芸術にとことん疎い私ですが、現代の東京が浮世絵のように描かれている大型作品を眼前にしたとき、「あ、この人天才なんだ。」と思いました。

そんな天才・山口晃のエッセイ漫画である本作は、とにかく「読みにくい」ことが特徴。

5センチ四方のコマが1ページに12コマ、その各コマにごちゃごちゃと入り混じる絵と流麗で達筆な書。

達筆な書って読みづらいですよね、正直。

読みづらいから、少しずつしか読まない。そうすると楽しむ時間が長く続く。

そういう付き合い方をするのが『すゝ゛しろ日記』だと思います。

 

春の七草・すゝ゛しろ、いわずと知れた大根の別称です。

煮てよし、焼いてよし、茹でてよし。

すゝ゛しろ自体にはほとんど味がなく、ともに扱う食材や調味料、調理方法によって如何ようにも味わいを変えていく変幻自在の食材であることが特徴です。

一度見たら忘れることのできないインパクトを持つ山口晃の画風とは似ても似つかない七草のひとつではありますが、エッセイを読むと、「なるほど、『すゝ゛しろ』」と思わされます。

作中に、

「カミさんはタマに私を憐憫の目で見る。『あんたは絵に全部吸い取られちゃったんだねぇ。いーよいーよ。』」

という言葉が出てきますが、私の周りにいるごく僅かの「天才」も、ある一定の分野以外「全部吸い取られちゃったんだねぇ。」的な人ばかりです。

絵を描く以外には、いかようにも味付け可能な「すゝ゛しろ」の徒然、それが『すゝ゛しろ日記』。

天才の「吸い取られちゃった」系の日常を、良い意味で毒にも薬にもならない切り口で描かれた本作。

お疲れの脳に、いかがでしょう。